北中生へ 主幹教諭からメッセージ

「今日、私はリンゴの木を植える」 

 突然の休校から一月半が過ぎました。幾日かの登校日はありましたが、北中学校の校舎やグラウンドで、君たちの元気な声を聞いたり、無邪気な笑顔を見ることができなくなってしまいました。教師になってから、こんなにも長い時間、生徒とともに活動ができなかったことはありません。当たり前のように行えていた授業や部活も、今はただただ我慢をしなくてはなりません。世間では「コロナ疲れ」「コロナ鬱」という言葉が話題になっていますが、教師にとって、生徒に会えないことがこんなにも辛いことなのかと思い知らされています。当たり前にあった日常を奪われたことへの不条理を感じます。教師は生徒のおかげで、輝いていられるものだと。言うなれば「北中生ロス」。北中の先生たちは、みんな同じ気持ちだと思います。

 君たちも、きっと同じ思いだと信じています。私自身も、子どもだったとき、学校は当たり前の場所で、時にはサボりたくもなったりもしました。でもやっぱり大切な場所で。友達がいて、好きな子がいて、褒めたり叱ったりしてくれる先生がいて、授業があって、部活があって。当時は日常に埋没し、退屈にも思えたその場所は、こうして大人になり通うことができなくなってしまうと、とても輝いた場所・時間だったように思えます。

 君たちも、そうであってくれたら嬉しく思います。きっと、臨時休校になった1週間くらいは喜んでいた人もいるかもしれません。ただ、こんなにも長く続いてしまえば…。やっぱり日常を取り戻したくなりますよね。身内よりも、ましてや先生なんかよりも、友達や仲間が大切な年頃の君たちだから、不要不急の外出自粛が求められる今、学校で友達に会いたい、仲間たちと好きな部活を思いっきりやりたいと、そんな思いが強くなっているかもしれません。

 学校生活って奪われると、こんなに寂しいものなんだなと痛感します。それでも今は、新型コロナウイルス感染予防のため、ともに我慢をしなくてはなりません。ともに不安を乗り越えなくてはなりません。外出を避けることが、何にも代えがたい「人命」を救うことに繋がります。

けれど、遊び盛りの君たちです。大人のそれよりずっと「コロナ疲れ」を感じているでしょう。TVをつければ、スマートフォンのニュースサイトを見れば、コロナ、コロナ、コロナ。不安を煽るような情報も、誰かの発言に対して批判するようなコメントも…。大人だってうんざりします。でも、そんな時だからこそ、気持ちを前向きに生きていたいと思います。私たちには、中島みゆきさんの「時代」や、坂本九さんの「上を向いて歩こう」など、素敵な歌があります。(中学生のみなさんには、ちょっと古い歌かもしれませんが。知らない人は、是非調べてください。)そんな歌を口ずさみながら。

 先日、私が尊敬する、サッカー元日本代表で横浜FCの現役選手でもある三浦知良選手が、自身のブログで「日本の力をみせるとき」と題し、コラムを綴っていました。

『日本の緊急事態宣言は「緩い」という批判もある。しかし、我々日本人はどんな国難に直面したときも、生真面目さや規律の高さといった、世界でも有数のモラルで乗り越えてきた。だから、僕たちは自分たちの力を信じよう。日本人はこういうときにやれるんだと世界に示そう。「ロックダウン」じゃなく「セルフロックダウン」でいこう。』と。

 前向きで、力強い発言で、北中の先生にも思わず紹介してしまいました。苦しいときだからこそ、不平不満をこぼすのではなく、人を励まし、困難に立ち向かっていこうとする姿勢こそ、現状の私たちに大切な心構えなのだと強く共感しました。

 卒業していった、73期生たち。新型コロナウイルスによって不憫な思いをさせてしまった卒業式となりました。校長先生の式辞も、そんな思いから、言葉に詰まる場面もありました。73期生の担当だった先生たちに思いを馳せれば、悔しさやもどかしさもあったと思います。でも、そんな中、北中PTAの中村会長は、ご自身の子どもが卒業生であるにも関わらず、「今回の卒業式は、親として残念に思うところもあります。しかし、子どもたちの長い人生を考えたときには、こういう理不尽なこともあると、凄く良い経験になると思うんです。」とおっしゃっていました。人格者だなぁと思うと同時に、三浦知良選手の発言と同様に、物事を前向きに捉え生きることの重要性を教えて頂いたような気持ちになりました。

 誰もが不安な状況の中、心は恐怖にとらわれ、不平不満を口にしてしまいます。でも、そんな自分を恥じなくてはなりません。日本人の美徳は、苦しいときにこそ周囲に手を差し伸べ、じっと耐え我慢し、希望を失わないところにあるのだと思います。そうやって、私たちの先達は何度も立ち上がり、この国を幸せに導いてくれました。だからこそ、私は後ろ向きな気持ちではなく、この新型コロナウイルスとの戦いに、ワクワクしながら挑みたいと思います。医学の知識が丸でない私には、ワクチンの開発はできません。政治家でもない私には、緊急事態宣言も出せません。教師である私たちにできることは、生徒のことを想うこと。学校が再開したときに、ピカピカの授業ができるよう、毎日教材研究に励むこと。そんなことを直向きにやりたいと思います。

国の指針を受け、川口市教育員会から教職員にも新型コロナウイルス感染予防のため積極的な自宅勤務の方針が打ち出されました。そんな中、北中の名物でもある校務員さんのお二人は、毎日学校に来て、いつ君たち北中生が学校に来ても安全に学校生活を送る事ができるよう、平時と変わらぬ仕事をしてくださっています。ご高齢のお二人です、少なからず不安もあることでしょう。でも、その姿に、16世紀ドイツで宗教改革を推し進めたルター(歴史教科書P101に掲載されている人物です。)が残した言葉を思い出しました。

「たとえ明日、世界が滅びようとも、今日、私はリンゴの木を植える。」。

 今、私たちにできることは、等身大の自分にできる精一杯のことしかありません。それが最低で最高のことだと思います。人命のために、不要不急の外出を避け、手洗いうがい、栄養のある食事と睡眠。そして、励まし合うこと。君たち中学生は、学習に励み、家族を助ける。可能な限り体を動かすことも忘れずに。そうやって、私たちができる精一杯のことを、ともに取り組んでいこう。

 もしも世界が絶望に打ちのめされても、私は希望を持って、ただリンゴの木を植える。

  「♪そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ 

     あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ 

     だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう♪」と口ずさんで。

<中島みゆき『時代』より>

                                                                   主幹教諭   森 龍太郎